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プレジデントビジョンは読者数16万人を超える、社長の、社長による、社長のためのHTMLメルマガです。ライブレボリューションの社長を務める発行者・増永寛之が、現在活躍中の社長に直接インタビューし、彼らのビジョン、経営哲学、成功の秘訣をメルマガにまとめてお届けします。
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vol.1208 データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史 20 Jun 2013 9:00 AM (12 years ago)

データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史

【増永】 これまでの経営上の苦労もたくさんあったかと思いますが、特に苦労した点などあれば教えてください。

目標にしているのは、世の中にイノベーションを起こすことです。かつ、世界に通用するグローバルカンパニーをつくりたい。そのきっかけが、どうにもまだ掴めていないということが、いちばんの苦労でしょうか。

まったく掴めていないというわけでもないのですが・・・まだ成し遂げられていないんですよね。進んでいる方向は間違っていないと思っているのですが、実際はできていない―このもどかしさも、なかなか辛いものです。しかし、いつかそれを引き寄せたいと思っています。

● 澤社長の目指すグローバルカンパニーとは、具体的にどのような会社になるのでしょうか。

分かりやすく言えば、日本の売上が半分以下になり、かつ時価総額1,000億円規模の会社ですね。ちなみに、1,000億円というのはあくまで目安なのですが、1,000億円の時価総額がある企業は社会のインフラと言えるだろうということです。

もちろん、すぐに実現できるような簡単な話でないことは重々承知しています(笑)。ただもう少しでうまくいきそうなのに、それができていないことのジレンマに悩んでいる感じです。

● そうしましたら、澤社長のおすすめの本などあればお願いします。

ジャンルとしては歴史小説、特に戦国時代を扱ったものがすごく好きで、司馬遼太郎さんや堺屋太一さんの本はよく読んでいます。なぜそういったジャンルに興味があるかというと、群雄割拠した戦国時代と今のIT産業の構造に類似点があるように思うからです。

たとえば私なんて小大名のようなものですが(笑)、その中で領地を拡大しないことには、部下もついてきてくれないので、そのためにも一生懸命頑張るとか・・・特にベンチャー企業は売上が伸びるなど、目に見える成長がないと社員は納得してくれないのが現実ですから、そのあたりが似ていると思いませんか。

やはり伸びている・成長している環境を作っていかないと、社員はついてこない、もしくは他社と組んでいかないと生き残れないとか・・・戦国時代と今のIT産業の環境はすごく近しい感じがして。そういう視点で読むので、特に戦国時代の歴史小説が好きです。

● 戦国時代の中で特に好きな人物はいらっしゃいますか。

真田幸村や山中鹿之助になります。山中鹿之助についてはなかなか渋いチョイスかもしれません。

個人的な意見となりますが、人生は成功だけがすべてではない。プロセスの中で自分自身満足・納得できるかどうかが、いちばん大切であると思っています。

そういう意味で、真田幸村は小大名だけれど、関ヶ原の合戦では大軍を引き連れた徳川秀忠を迎え撃ち、少数の真田隊が勝り小さな城を守りきりました。最後の最後まで知力も使い勝利をおさめているあたり、結果だけでなくプロセスも重視した生き方にも捉えることができ素晴らしい生き方であるように感じます。

真田幸村については、大阪夏の陣で亡くなったと言われていますが、彼には多くの影武者がいたとの説もあり、本当のところは分かりません。

いろいろと上手く振舞って大成功をおさめる結果ももちろん大切ですが、彼のようにあるべき姿を貫いて振舞っていく姿も、生き方として素晴らしい。きっと彼が死ぬとき、自身の人生に満足していたのではないかと思います。

生まれてきたからには、死ぬときまで自分がどこまで一生懸命生きることができるか・・・ここが大事だと思うんですよね。常にそれは私も大切にしていて、こうした人生観をもってこれからも生きていきたいと思っています。

だから大成功することも大切ですが、それよりも自分自身が死ぬときに、「自分の人生は幸せだったな、これ以上はないくらいに頑張ってきたな」―そう思える人生を過ごしたいです。

● 好きな言葉があれば教えてください。

先ほどの「三方よし」もそうですが、それ以外にも「愛」という言葉も好きです。直江兼続の大河ドラマで流行る前から注目しており、当社のホームページをご覧いただければ分かると思いますが、「愛」を前面に押し出しています(笑)。

ちなみに、この「愛」は自分が社員に指示をだしたのではなくて、社員が勝手に「愛」と書いてくれたんですよね。少し恥ずかしかったのですが、社員が書いてくれたので「まぁいいか」とそのままにしています。

なぜ「愛」にこだわっているかというと、「三方よし」に通じるところもあるからなのです。お客さまにも「愛情」、社員・仲間にも「愛情」という気持ちを大切にしていることの表れになります。ではここでいう「愛情」とは何か。

たとえばお客さまに、必要のないものを値引きして安くして購入してもらうとか、接待をたくさんして売上にこぎつけるとか・・・こういう手法は、私自身が大嫌いなんです。

お客さまとは、常にフィフティフィフティ、対等な関係であるべきだと私は思っています。これはお客さまとの関係だけに限らず、上司と部下でも同じだと思うんですよね。

なぜなら、上司と部下の関係の場合、上司は部下が働きやすい環境を与えて、働き続けてもらうことを思い、そして何とか成果を上げてもらうために教育などマネジメントをしています。これに対して部下は、結果を出そうと必死で仕事をする。

お互いに相手を思って行動する、こうした関係であるべきだと考えます。経営者と社員も同様です。売る側と買う側ももちろん同じ。買う人が満足できる商品を提供できたなら、買う人は「買ってやった」とならないですよね。そういった関係にしないといけないということです。―そういうポリシーをもって経営をしています。

私たちから購入することによって、その人が幸せになれる姿を生み出すことが、売る側としての責務であるのです。これが私たちの基本的なポリシーであり、ひとことで表すと、「愛」なのです。

ただこれが、偽物の愛・・・たとえば接待づけにしてしまうとか、一見お客さまのために尽くしているようにしていても、そこには単に自分たち本意での思惑しかないとか、そういうのは困りますよね。常にいつもお客さまの事業を考え、成功するためにはどうすればいいのかベストを考えること。この考えをベースにして、お客さまとの関係を継続していきます。これが私たちのいう「愛」なのです。

● ありがとうございます。では最後に、御社のビジョンをお願いします。

上場を目指しています。とはいえ、上場することが目的ではなく、まず1つの手段であると考えているんです。そして、グローバル展開へとつなげていきます。国外での売上が全体の半分以上を占めるようになることが、まずは目標でしょうか。そういう環境を作り上げていきます。

そしてもう1つ。各企業さんにおいて、ソーシャルメディアが自社の売上向上になくてはならない存在に仕立てあげること。今の社会では、100社の企業があるとするとソーシャルメディアに関心を持っている企業は30%ほどと言われています。

そして実際に当社のお客さまになっている割合は、約20%。このうちソーシャルメディアを有効活用できている企業は、1%〜3%といった世界です。

この数%の数値を、近い将来は2桁までもっていきたいと思っています。まず多くの企業さんに使っていただくことがベースであり、私たちの社会的責務であると認識しているのです。そこを固めてから、世界へと目を向けていきます。

【完:5/5】

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vol.1207 データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史 13 Jun 2013 9:00 AM (12 years ago)

データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史

【増永】 黒字転換して以降、ずっと黒字を実現されているのですか。

単月黒字を継続しています。増収・増益も実現しているので、極端に大きなことをしなければ、つぶれることはないと思います。とはいえ、まだ何も実現できていないですし、まだまだ頑張らないといけないと思っています。

● 2011年そして2012年にも増資を実施されていますが、黒字であるのになぜ資金調達を行なうのか、周囲からは疑問に思われませんか。

確かに幸いなことに、緊急を要しているような状態ではありません。しかしながら私たちは、資金調達については戦略的に進めているんです。

現在クロールしている海外データをもとにして欧米企業、日系企業にサービス展開したい―今やアジアは世界市場となっています。ヨーロッパもアメリカも日本の商品も、アジア各国で消費されている時代じゃないですか。

アジアは人口的に言えば間違いなく、世界市場のハブとなる地域。すると、モノが売れるという情報やコンサルティングなども含めて、その地域に向けた販売戦略を立てる需要は高く、欧米企業やアジアの企業は、絶対に欲しいはずなんです。ということは、ビジネスモデル自体も成立するはずだと予測できます。

まだ会社の体力はそれほどあるわけではないのですが、今年3月ベトナムに会社を登記しました。これらを基盤に、まずは日本で地位を確立した上で、アジアへの展開を検討しているんです。

ここで、ビジネスが成功した際には、一気にアジア地域に拠点を作ることを考えています。そのための戦略の一つが、資金調達になるのです。

● では、黒字経営を継続できている秘訣につながるような、澤社長こだわりの経営スタイルがあればぜひ教えてください。

そうですね、経営をする上で大切にしていることはあります。それは、近江商人の「三方よし」の考え方ですね。経営の基本は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」に集約されていると思っています。

極端な話、不要なものを無理に押し売りしてはいけないし、欲しいといわれて使ってもらったとしても、それが世の中の役に立たないものであればそもそも提供してはいけない。今、その点が少しずれているような気がしているんです。

たとえば、「三方よし」になっていないのに、売上が伸びている会社さんはたくさんあると思うんですよ。でも、そういうのって一時的なものであると私は思っています。

継続的にビジネスを続けていく、もしくは社会貢献をしていくためには、「三方よし」という考え方が絶対に大事。

経営をしているといろいろなステージを経験しますが、どうしても目先の売上に走りがちというか・・・売上を一気に伸ばせるタイミングに遭遇することがあるじゃないですか。そこに乗りたい気持ちは一度ぐっと抑えて、まずそれが「三方よし」に適っているか―を考えるんです。単なるお金儲けだけで前に進まないよう、自制しつつ経営をしていますね。

【続く:4/5】

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vol.1206 データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史 6 Jun 2013 9:00 AM (12 years ago)

データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史

【増永】 御社では澤社長が3代目となりますが、澤社長になったことで起きた変化などあればぜひ教えてください。

分かりやすく規模的なところを申しますと、私が入る前は従業員の合計が役員を含めて4名の会社でした。そして今は、非常勤も含めて50名となっています。

以前であれば、お客さまから「これを作って」とリクエストいただいてからシステム開発を行なっていましたが、自社サービスを提供する形に大きくビジネスモデルも変わりました。

どうしても請負だと、業績に波があったりするのですが、今では半分以上がストックビジネスで売上があがっている―これらの点が、私が経営に携わってから大きく変化したところになります。

● 会社のデータを見るかぎり、資本金も変わっていますね。

そうですね、もともと2,000万円程度だったのですが、今では準備金も合わせて1億7,000万円程度になっています。

資本金規模も8倍くらいになり、社員も12倍ほど。さらにビジネスモデルも大きく変化した上に、さらに大きな変化といえば・・・世の中の変化でしょうか。ツイッターもフェイスブックの登場もごくごく最近の話ですからね。

そもそもインターネットメディア自体が「一部の人のメディア」であり、一般的にはあまり信頼性が高くありませんでした。ところが震災以来、ツイッターでの情報流通がいちばん早かったとか、アラブ諸国での革命はフェイスブック経由で実現したとか・・・ソーシャルメディアが重要な役割を果たし、一般的なメディアとして成立しています。こうした社会的状況での変化が大きく影響しているのも間違いないですね。

● 現在の会社と出会ってから、「もし自分がこの会社の経営者になったら、ここをこうしていきたい」というイメージは持っていたのですか。

イメージは持っていました。2009年7月に社長に就任した際には、過去の投資を実行した経験から「投資をしてもらう」逆の立場として、ノウハウがあり、投資をしてもらえる自信をもっていました。1億円ぐらいすぐに調達できるだろう―そう高をくくっていたんです。

ビジネスも絶対に伸びると自信をもっていました。しかし、リーマンショックの影響は思いのほか大きく、この時期ほぼすべての投資家が一旦投資活動を休止していたんですよね。

資金調達をどこからも協力を得られず・・・きちんと事業計画を立てて論理的に説明できれば、苦労なく資金を集められると思っていました。ベンチャーキャピタルや投資会社などおそらく50社は回ったと思います。

想定どおりに物事が運ばなくて、苦労しましたね。だけど、どんなに実を結ばなくても、自信をなくすことは1度もなかったんです。むしろ、「なぜ、理解できないのか」と思っていたぐらい(笑)。

最終的には日本生命さんや三井生命さん、そして早稲田大学を発祥としたウエルインベストメントさんの3社から5,000万円ほど増資していただくことができました。そして増資した資金をもとに、人員投資、設備投資を行ない、売上を伸ばすことができたのです。

● それまでの売上はどうだったのですか。

私が社長としてこの会社に入ったときは大赤字でした。だからよけいに増資が難しかったというわけです。最近は、少し良い風が吹いていますが、当時の日本のベンチャーキャピタルは、赤字だったらまず投資してくれなかったですね。

であれば、とりあえず黒字転換して、逆に「この会社に投資したい」と相手から思われるような会社にしてやろう―そう決意しました。

その次の期には、売上も利益も伸びたんです。そうしたら、おもしろいぐらいに「データセクションに投資したい」と声がかかるようになりました(笑)。景気が悪い時期には、やはり黒字を出していないと、日本の場合は投資していただくのは難しいということを体感しましたね。

最近当社では、アメリカ企業との事業提携の機会が多いのでいろいろと情報交換をすることもあるのですが、リスクを取らずに黒字にして成長していくような企業というのは、ほぼないらしいです。

多くの企業は赤字スタートで、そんな中でもベンチャーキャピタルの協力が入り人材も追加され、さらに赤字幅は大きくなります。そしてここから無理やりにでも伸ばしていくというモデルが、スタンダードになっているんです。

ですので、アメリカの投資家からすると、「ベンチャーは黒字を出していないと投資してくれない」という状況を理解できないようでした。

赤字のときと黒字のときとでは、話を聞いてもらえる姿勢も急激に変わることを実感し、この環境自体に私は疑問を持っていました。要するに日本のVCは金融機関の融資と同じだったんですね。

しかし、最近のベンチャー企業への投資環境は若干変わってきたようにも感じています。

最近、トーマツの斎藤祐馬さんや、スカイランドベンチャーズの木下慶彦さんなど、ベンチャーを活性化させようと若い世代が頑張っています。このような頑張りが、投資環境を変えてきているのではないかと思っています。彼らのパワーはすごいなと思いますね。

【続く:3/5】

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vol.1205 データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史 30 May 2013 9:00 AM (12 years ago)

データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史

【増永】 世界で見ても、日本はSNS等での情報量が多いという事実が、現在の仕事に結びついていったということですか。

そうですね、もちろん世界的に見ていけばアメリカが多いのですが、それに次いで日本も多い。コンピュータ上で1文字を表記するのに2バイトを要する言葉を使う国の中では、世界でトップではないでしょうか。

日本と英語で大きく異なる点は、単語の区切れの有無です。英語は単語で切れますが、日本語や中国語、韓国語の場合、どこまでが単語で名詞になるのか細かに見ていくと分かりづらいんですよね。

欧米の企業が日本を含むアジアに本格進出できない理由も、実はそういう言葉の1バイトと2バイトの壁が影響しているようにも感じます。2バイト系のソーシャルメディアを通したモデルであれば、世界でも通用する、さらには勝てるのではないか・・・そう思ったんです。こうしたことを10年ほど前に感じ、8年ほど前からグローバル展開を意識した形でビジネスモデルを作ってきました。

今から5年ほど前の話になりますが、慶応大学でネットメディアの未来について語る講演をしている、橋本という人間に出会ったのです。彼は私の持っていないところを持っている、私と相反するところがある。一緒にやっていけば、面白いことができるのではないか・・・そう感じて、彼に「ネットをとおして商品が売れるようなきっかけをつくる仕組み・ビジネスモデルをつくろう」と声をかけたんです。

そして、先ほどの白雪の詩の話もしたんですね。「こうした事例をもっと他のメディアで実現できれば、もっとすごい時代が作れるよ、一緒にやろう」と口説きました(笑)。

もともとデータセクションという会社は、橋本が代表となり立ち上げられた会社で、当初は請負案件で利益を出していました。そこをモデルチェンジして、会社として変わろう、その変わるきっかけになろうと口説き続けたんです。それで、前職時代にデータセクションと業務提携を結んだのが初めだったのです。

その後、新しい会社を立ち上げようと準備をしていたのですが、橋本が「別に新しい会社を作らなくても、データセクションで一緒にやろうよ」と言ってくれ、さらに「澤さんがMBOをしてこの会社の株を好きなだけ買ってくれていいよ」と。

私への信頼そして可能性を信じてくれたおかげで、私が2009年7月1日に筆頭株主となり、データセクションの代表として就任しました。現在、橋本は取締役会長として共に頑張っています。

● では、現在の事業内容を教えてください。

主要事業は、ソーシャルメディア分析事業となります。

ソーシャルメディアの情報を1日あたり約6,000万件から7,000万件集めて、これらの情報を企業さんに対してSaaS型のツールとして提供しています。膨大な量をかき集め、それらを分析することで、商品の流行などを掴めるようなきっかけになるんです。こうした情報を必要としている企業さんは、たくさんいますから。

そしてこれらの膨大なデータを基にして、情報分析を含めたソーシャルメディアのリサーチ・コンサルティングも提供しています。

2013年の4月2日には、ソーシャルメディアのリサーチ・コンサルティング部門を独立したソリッドインテリジェンス株式会社という会社を前職時代一緒に働いていました林健人(データセクション取締役兼任)を社長に据え設立いたしました。これは、アンケートをリサーチする会社はたくさんあるのですが、ソーシャルメディアをリサーチする会社はまだほぼない。このことからビジネスチャンスを感じ設立することとなりました。

私たちはOEMでシステムを提供しておりますが、これらSaaS型のツールをさらに「自社向けにカスタマイズしてほしい、デザインを変えてほしい、持っているデータソースを追加して自社サービスを早急に立ち上げたい」等の各社の要望があるので、それに応える形でセミオーダー型の開発も行なっているんです。

直近では、先日5月5日の日経新聞の7面で大きく取り扱っていただきましたが、「選挙ウォッチャー」という、政党・政治家のソーシャルでの声と、国民の世論の声とを客観的に見ることができるポータルサービスを立ち上げました。

ネット選挙が解禁されることで政治家はネット上での発言に、より責任をもたないといけないし、国民の世論をネットから吸い上げないといけません。また一方で、国民は世論の声、政治家の声を生でたくさん理解できるきっかけにもなるわけです。

そういったところから、政策に対する議論がより成熟化され、日本が良い方向に進むきっかけになるのではないかと思っています。

こうした意義を考慮し、利益度外視でサービス提供を始めました。リリース後、テレビ局からも取材が来るなど、たくさんのメディアから問い合わせがありビックリしています。でも、それだけ注目していただけ、期待されているのだと実感しているんです。

● なるほど、では情報分析といったところで、何か事例がありましたら教えてください。

たとえば過去に、「人はどういうときに、プリンを食べたくなるのか」を分析したいという声があったんです。

プリンを食べたくなるときって、どういうときか想像できますか?こうしたオーダーがあったとき、さまざまなソーシャルメディアを分析していくのですが、調べていく中で「風邪」というキーワードが出てきたんですよ。風邪とプリンって、なかなか結びつかないですよね(笑)。

「子どもの頃、風邪をひいたときに親がプリンを出してくれた」という思い出話について、ネット上でコメントやつぶやきがあったりしたんです。こうした経緯から、誰も想像できなかったような情報を知ることができ、思いもよらない結果にたどり着きました。これがポイントになります。

分析をするときは仮説を立てて、そこから発展して「こういうものだ」と結論づける、そんな思い込みがあったりするのですが、実はもっと見えていない事実にたどりつくこともある。それをプロモーションにつなげることができます。

今の話でいけば、たとえば薬局で風邪薬の横にプリンを置いてもいいじゃないですか(笑)。顕在化されていないニーズに応えることができる、そんなチャンスになるのです。

ソーシャルメディアを通じた効果測定を行なうことで、潜在的なニーズにたどり着き、今まで知らなかったことを発見することができるのです。

【続く:2/5】

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vol.1204 データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史 23 May 2013 9:00 AM (12 years ago)

データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史

【増永】 澤社長がデータセクションの社長に就任されるまでに、どのような人生を歩まれてきたのか教えてください。

13年ほど富士通に勤め、その後は商社に転職。そこからさらに事業投資会社に転職しました。もともと富士通に入社する頃から起業家志向が強く、いずれは会社を立ち上げて世の中を変えられるような何かを作りたい―そう思っていたんです。

今から10年ほど前でしょうか、富士通に勤務していた頃、当時はCGMとかブログサービスが一般的になり始めた時代でした。そういう流れを目の当たりにしたとき、インターネットメディアのさらなる可能性にわくわくしたんです。だけどそうしたものを俯瞰的に見たとき、国内をターゲットにしたビジネスモデルばかりだな、と思ったんですよ。

富士通にしても当時は海外展開が上手くできていなかったですし、他の競合社さんも同じでした。

現在でもそうですが、グローバルに通用するような、IT関連の会社はあまりありません。

世界に目を向けて、日本発のビジネスモデルを生み出さないといけないんじゃないか、ダメでもそういったマインドを持つ人がどんどんでてくるべきなのではないか―このとき強く思ったんですよ。それで、そう思うならまず自分が頑張ってみないといけないかと思ったのです。

そこで自分なりに、「世界で通用するビジネスモデルとは何なのか」をいろいろと考えてみたのです。

導きだした答えは、まず一つがソーシャルメディアを分析して、そこでいろいろな発見を通じビジネスにつなげるもの。そして2つ目に、コンテンツビジネスモデル・・・要はアニメとか音楽とかです。日本は著作権でコンテンツを守ってきているので、おそらくそうした文化も他の国と比較して発展しているほうだと思うんですよね。

こういう背景があるからこそ、日本のコンテンツ力は海外と比べてもものすごく強い。この強いコンテンツを海外に広めていくというのも、ビジネスチャンスがあるだろうなと。

そして3つ目に、オンラインでのビジネスモデルです。たとえばオンライン英会話のようなもの。今でこそ珍しくないモデルですが、インターネットが一般的に普及し出した10年ほど前から、こうしたビジネスモデルを考えてきました。このいずれかを事業とした会社を、将来立ち上げたいと思ったのです。

その想いを実現するためにも、富士通から商社に転職していろいろと勉強をしました。すると、自分にとってファイナンスのノウハウが欠けていることに気付いたんです。そのタイミングでグロービスの創業メンバーであり、現在は株式会社ミドクラという会社の代表をされている加藤隆哉さんに出会い、彼に事業投資の会社へ誘われたのです。

入社前に、37歳にもなって簿記の資格もとりました(笑)。また入社後加藤さんからファイナンスについて色々と教えていただきまして、イーライセンスという会社に対して投資も行ないました。

グロービスで先生をやられていた加藤さんのファイナンスのノウハウは今でもすごいと思いますが、彼に実務でファイナンスを教えていただいた経験は自分の財産にもなっていると思っています。そういえば、ミドクラで加藤さんが17億円位調達されました。日本では破格ですよね。

このイーライセンスという会社は、著作権管理をされているジャスラックさんに次ぐ大手会社で、そこに事業投資したことで同社の社外取締役に就任しました。

● イーライセンスさんの社外取締役に就任することで、どのようなことを実現しようとされていたのですか。

先ほど挙げた3つのビジネスの考え方の一つになるのですが、グローバルに通用するコンテンツ流通(著作権管理)の仕組みを作れないかと考えていたのです。そこで、イーライセンスさんに投資をすることで、いろいろなビジネスモデルを作り出したいと思い、社外取締役に就任したという背景になります。

さらに並行して行なっていたのが、ソーシャルメディアを通じてのビジネスです。

10年ほど前に長野県の佐久という地に「白雪の詩」という白くて大きな石鹸が売られていました。形はすごく大きくて、使い心地は肌がすべすべになり、かつ300円弱という価格で安いと。もともとは台所用石鹸として売られていたのですが、洗顔でも肌によいというのを、東京のOLさんがブログで紹介したんですね。そうしたら、口コミでものすごく売れたんです。

この石鹸は、佐久にある「ねば塾」という会社で身体障害者の方々によって作られている石鹸だったのですが、このブログをきっかけに大きな話題となりました。それから数年経った2007年頃には、東急ハンズなどで売上ナンバーワンにもなったんです。今でもコンスタントに売れている代物です。

こうした事例のように、小さい会社で一つひとつまじめに作られている石鹸が、インターネット発でこれほどまでにブームになる時代になるとは・・・インターネットメディアの力の凄さを改めて知りました。

そこで思ったのが、この事例のように、「だれがつぶやいたか」、「どこまでネットで盛り上がっているか」という情報をもとにした、商品の売れ行きの相関性をみつければ、そのモノ自体が流行するかどうかをある程度把握できるのではないか・・・ということでした。

もともと私は、そういうビジネスモデルを目指していたんですよ。いち早く次に売れるモノが分かれば、たとえば共同経営だったり販売権の独占などなど、他社よりも早く対応できる可能性が出てきます。そうして、新たなビジネスモデルを生み出せるのではないか―こう思ったんです。

そしてもう1つ。日本はブログ人口が世界でNO.1、さらにツイッター人口は世界で2位なんですね。フェイスブックは23位なのですが・・・こうしたSNSでの全体的な環境を見ていくと、間違いなくアジアの中では日本は情報量という観点ではトップだと思うんです。

こうした環境を鑑みると、誰がきっかけとなり、どのような形で広がっていけば、そのモノが売れるのかということを掴めるのではないか。これを掴めるような仕組み、もしくはその仕組み自体を習熟させるようなことが実現できれば、きっと世界に通用する。ようやく、ずっと探し続けていた方向性が見つかったのです。


【続く:1/5】

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vol.1203 株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹 16 May 2013 9:00 AM (12 years ago)

株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹

【増永】 盛和塾での教えやこれまでの経営での経験から、薮本社長が特に注意されていることはございますか。

そうですね、「手段の目的化」だけは避けようと注意しています。

プロジェクト会議では、「目的と手段」という言葉が頻出するんですね。一時期、プロジェクトがうまく進行しないことで心のバランスを崩してしまっていた社員がいたんです。本人が悩んでしまって・・・楽しく働きたいだけなのに、なぜこんなことが起きるのだろう、と不思議でした。

でもそのとき気付いたんです、手段が目的化してしまっていたことに。

たとえば、展示会に出展しようとか、こういう技術を開発しよう―そういうことが目的になってしまい、その上にある本来の目的がみんな見えなくなってしまっていたのです。

だから「今あなたが言っていることは、目的ではなく手段の話ですよね」、と。「今話し合いたいことは、目的の話なんだよ」。こうやって都度都度みんなで確認して進めていくことを習慣化させるようにしています。これもようやく文化になりつつありますね。

● では尊敬する人物がいらっしゃればお願いします。

同い年の経営者で、創業した年に知り合いになった株式会社リグアという会社の川瀬社長になります。

私より1年早く起業されているのですが、同じビルに入っていて知り合いになったんですね。最初はそれこそビルのエントランスとかで会って挨拶をする程度でしたが、いつも気軽に声をかけてくれて、今では自分が悩んでいるときにアドバイスをくれたり、ときには誰かを紹介してくれたり。

ここぞというところで、何かしら救われているんです。盛和塾も、彼に紹介していただき入塾しました。

いつも救われてばかりなので、いつか何かしらお返ししたいと思っている方になります。

● 最後に御社のビジョンをお願いします。

日本中の企業をよくするための手段として、「映像」をもっとより身近に効果的に使っていただけるような社会にすべく、貢献していきたいと思っています。

映像を目的化せずに手段として提供できる、そんなサービス提供をすることが当社の使命と思い、もっともっとサービスのブラッシュアップを目指します。

日本は今、ご存知のとおり社会全体が成熟しており、誰がビジネスをやってもうまくいく時代ではありません。日本以外の今勢いのある国でも、いずれ経済が停滞してくるときがくるでしょうし、そうなる前に改めていろいろな部分を見直していこうという意識に変わってくると思うんです。

今からそうした国、特にアジア各国に的を絞っているのですが、そちらとパートナーシップを組むことを視野に入れて、映像の活用提案を続けてまいりたいと思います。

【完:5/5】

次号:データセクション株式会社 代表取締役社長 澤 博史 氏

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vol.1202 株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹 9 May 2013 9:00 AM (12 years ago)

株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹

【増永】 経営理念を作られたという話が出ましたが、どのように作られたのですか。

まず社員を集めて、「理念をつくりたい」と言ったんです。そうしたら、何を言い出しているんだ、社長は・・・という感じでしたよ(笑)。

少し話がそれますが、社名「サムシングファン」は日本語で「何か楽しいこと」を意味しています。私自身、高杉晋作のことが好きなのですが、彼は「おもしろきこともなき世をおもしろく」という辞世の句を残しているんですね。

この言葉を私なりに解釈すると、「主体性のない人生は楽しくない」と。人生の楽しさを見出せるような会社にしたい―そうした思いを込めた、社名なんです。

これについては、社員のみんなも思いを汲んでくれていて、共感してくれています。だから思いは社名で十分ではないですか、と(笑)。今さら理念をつくる意義を、なかなか理解してもらえませんでした。

一方私のほうは、盛和塾の影響もあり公共的な理念をつくるべきだと感じていたんです。ここの溝を埋めるのが、なかなか難しくて・・・各所から突っ込みを受けて、反発も多かったんですよ。でも話し合いを繰り返すうちに、社員たちも「社長は、本気でやろうとしているんだ」と少しずつ伝わっていきました。それからは、いろいろなアイディアが集まり始め、最終的に経営理念として形が出来上がったのです。

この経営理念をつくる過程の会議を「理念会議」としていたのですが、完成後は「プロジェクト会議」という名称に変更して、1ヶ月に1回、部署ごとに理念を遂行するための手段や目的の明確な設定、そしてそれらの進捗をきちんと確認する会議を定期的に行ないました。

また、この経営理念を実際に自分たちの業務に落とし込んだとき、どういう形で活用されているのかを部署ごとに確認できるような仕組みも出来上がったのです。

あとは言語化作業を進めました。たとえば「売上を上げよう、利益をつくろう」など、普段社内で何気なく使われている言葉でも、経営者である私と社員とでは、言葉の定義が微妙に違ったりするじゃないですか。

それではいつまでたっても同じ方向に進むことはできません。実際にプロジェクト会議の途中も、共通言語として成り立っていないままに言葉が飛び交い、なんとなくそれが個々に伝わっていないときがあったりしました。

そうしたズレをなくすためにも、徹底的に言葉に意味を定義づけて、共通言語をつくる―「言語化会議」というのをスタートし、「サム語辞典」を作っていったのです。

● 面白い取組みですね。その他にも、御社独自の取組みなどあればぜひ教えてください。

評価制度でしょうか。言葉は悪いですが・・・従来は私が勝手に社員を評価していたんですね。だけどこれでは透明性もありませんし、正直私自身も分からなくなってきているところもありました。

そこで全面的に変更したんです。評価制度の前に、基本給についての説明となりますが・・・基本給のことを当社では、「生活保障給」と呼んでいるのですが、新入社員には給与についてこう説明しています。

「当社に入社すれば生活保障給がこれだけある。そして毎年4月には5,000円ずつ昇給額がプラスされる。それは10年間続き、最終的には生活保障給に5万円がプラスオンされる。会社が潰れないかぎり、たとえ債務超過に陥ったとしても最後まで支払い続けます」と社員に約束しているのです。

だから会社から社員へのお願いとして、この範囲内で生活設計を考えてほしいということになります。

そしてオプションとして役職給等があり、さらに評価給をプラスすることにしたのです。3ヶ月に1度、財務のコンサルタントの方にきていただいているんですね。そこで、経常利益が18%を割り込まないレベルで、今後の投資計画や予算計画に照らし合わせて原資を設定いただくところまでお願いしています。

その原資を、各部署で奪い合う(笑)という会議・・・利益配分会議というのを開いているんです。

そして部署内での個々の査定をしていきます。会社側が与えた評価の内容、たとえば経営理念を体現するような働きをしているか、定時退社ができているか、または休暇を適宜取得しているかなどとあわせて、さらに部署ごとに決められている評価ポイントを合わせて12個の評価軸から行なうのです。

査定自体は、マネージャーと本人との面談で行なわれるのですが、本人が納得いくまで評価のポイントをつけていくんです。そして部署全体で評価ポイントの平均を出し、それが部署の持ちポイントとなります。これをベースに、先ほどの原資をシェアしていくのです。

当然、マネージャーは自分の部署のポイントを上げたいじゃないですか。そのために、部下の教育に力を入れるようになる。ここをもう少し頑張れば、評価ポイントも高くなるよ―そんな具体的な指導をすることで、本人も改善すべき点がわかります。

ポイントがかかってくると、他の部署からの目も厳しくなるんですね。よって、所属部署と他部署からのダブルチェックを受けながら、最終的に部署の評価ポイントが決まってきます。そうして、評価給となるわけです。


【続く:4/5】

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vol.1201 株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹 25 Apr 2013 9:00 AM (12 years ago)

株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹

【増永】 薮本社長が東京で営業活動をされていたとき、大阪の事業所の方はどうされていたのですか。

東京の事務所とテレビ会議など常時接続した状態ではありました。このときはですね、大阪の事務所がものすごく楽しそうでね・・・それすら恨んだりもしていましたよ(笑)。「大阪は楽しくやれていていいな」って。もちろん楽しいだけではなくて、仕事もきっちりこなしてもらっていました。当時は、大阪だけで業績を伸ばしていたようなものですから。

東京でのいざこざがあっても、会社へのダメージを最小限に抑えることができたのは、大阪で頑張ってくれていた社員たちのおかげです。だから逆に、経営者として私自身が一からやり直さないとまずい―そんな危機感がありました。

そこで、稲盛さんの盛和塾に入り、経営者としての学びを請うことにしたのです。

入塾してすぐに、盛和塾の直弟子でもあり株式会社フェリシモ代表取締役社長の矢崎さんの前で、経営体験を発表する機会がありました。そこには、60名ほどの経営者の方が集まっていましたね。

衝撃だったのは、その場で45分間1度も目をそらさず矢崎さんに怒られまくったことでした。私が経営者であること自体、サムシングファンの社員全員にとって不幸だ。どれだけ近視眼になっているんだ。お前の仕事は何なんだ―そんなことを、言われました。

そしてどんな事業をしているのか聞かれたので、「映像制作です」と答えたところ、「本当に映像を売っているのか」ということを3回くらい聞かれました。もうとにかく、訳も分からず、ただひたすら怒られ続けたのです。

最後に言われたのが、「これから経営者として志を立ててやっていこうという思いがあるのであれば、それを映像にしてきなさい」と。リミットは1ヶ月でした。

それからの1ヶ月間は、新入社員にも手伝ってもらい2人で会社、いやむしろ私の経営者としての想いを映像化するという・・・なかなか難度の高い作業に取り組んだのです。

その間、先輩経営者にはかわるがわる来ていただいて、いろいろとフィードバックをしてくださったんです。叱咤激励いただき、どうにか映像化が完成。盛和塾始まって以来の、2回連続経営体験発表の場を設けていただき、発表したんです。

2回目は前回よりは多少優しくご指導いただくことができました(笑)。本来であればまだまだ突っ込みどころは満載だけれども、それでも可能な限り考えてきたということは褒めていただけたんです。そしてまたそこから新たにご指導いただいたことで、「経営者とは何か」をさらに深く追求していくようになりました。

● そうした経験を通じて会社として取組み、何かしら結果につながったというような実績はございますか。

まず経営理念を作りました。私たちが作っている「映像」は、あくまで手段にしかすぎません。日本中の経営を良くするために、映像をしっかり提供できるような技量とノウハウ、そしてコストメリットを提供できれば、このサムシングファンが社会にとっても必要不可欠な存在になれるのではないか。そう考えています。

そして従業員の幸せと事業自体の意義を確立していこう―と目的を明確にして、経営をするようになりました。そうしたら不思議なことに、自然と経常利益が増えていったのです。最初は3%ほどだった経常利益も20%と大幅な増益となりました。財務面でも、キャッシュフローが7,000万円から8,000万円まで改善されたんです。

それ以来現在に至るまで、経営的には財務的な危機にあうこともなく、おかげさまで安定した経営ができています。

● 盛和塾に通われて、さまざまな気付きを得られたということですが、薮本社長にとっていちばん影響の大きかった気付きはどのようなことですか。

そうですね、「何のために会社経営をやっているのか」ということに尽きます。実は、経営者を続けるか、それとも辞めるかでかなり悩んだ時期がありました。それはまさに、先ほどの東京での失敗がきっかけです。

そもそも、自分が好きな仕事だけをやって食べていけるような人生を送りたいという思いで会社を始めたようなものです。これって実は、経営者でなくても実現できそうなことでもあるじゃないですか。でもせっかく会社を経営する立場にいるので、それを極めてまっとうする人生を送ろう―こう思考を転換できたのが、転機でもあります。

だから、経営者とは何か、何をする人を経営者というのか・・・こういうことを考えるようになっていきました。

【続く:3/5】

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vol.1200 株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹 18 Apr 2013 9:00 AM (12 years ago)

株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹

【増永】 会社を立ち上げてから今日に至るまで、経営者として学んだことなどをぜひ教えてください。

起業してから10年経ちましたが、もともとは自分たちが楽しく働ける環境を作ろうという思いから立ち上げた会社です。幸い3年目ぐらいから一般的な給料を支払えるくらいに成長してきました。当時は4,5名規模でしたね。ただ5年目くらいで少しだけ売上が足踏みしたのです。

これまで10期連続増収、8期連続増益できているのですが、そのときは前年比300万円ほどの売上の伸びでした。急にキャッシュフローも厳しくなり、経営者としてしっかりとお金をストックする財務の考え方もして経営していかないと、いざというとき立ち行かなくなるという、ごくごく当然のことに気付かされました。

これに気付いてからは、財務のこともきちんと考えた経営をするように意識が強まったのです。

財務的な部分も考慮するようになってから、新たに気にするようにしたことがありました。それは、「社員は何を目的として、この会社で働いているのか、今後どうしていきたいのか」ということです。そこで、今後もっと会社を良くしていくためにも経営者として知るべきことだと思い、直接社員に聞くことにしました。

すると、「東京で仕事をしたい」という回答をした社員がいたんです。当時は大阪を拠点として展開していたんですね。それを聞いて私も、「東京か、いいんじゃない?」と(笑)。リーマンショックの少し前くらいの時期で、会社としては7期目に入っていました。世の中の景気もまずまず良かったですし。

そして東京の代理店さん15社くらいに営業をしてみたところ、想定以上に引き合いがあり、初月で400万円くらいの売上が立ちました。実際にやってみて、東京の凄さを体感しましたよ。大阪ではこんなにスムーズにはいきませんでしたからね。

● 大阪から東京への営業拡大も順調に進まれたのですね。

そうですね、しかしここに落とし穴がありました。思っていた以上に成果を得てしまったので、正直言えば調子に乗ってしまったのです(笑)。

ある会社さんから「業務提携しないか」という提案を受けたんですよ。有名企業から合計数億円にのぼる出資を受けている会社さんで、将来は美容業界に対して映像コンテンツでさまざまな情報共有をするための、定額制配信事業を展開していきたい―そんなビジョンをもった会社さんでした。その会社さんと原宿に撮影スタジオを作って、一緒にやっていこうということだったんです。

当社としてはありがたい話でしたし、あるだけの資金を注入してスタジオ作りに注力しました。打ち合わせの度に銀座のお寿司屋さんとかに通ったりして・・・ものすごく景気のいい話ばかりしていたんです。

なかなか具体的な話にもならなかったので、「コンテンツの制作やマーケティングとかは、どうなっているんですか」と聞いたところ、「そういうことは、後からついてくるものだから」と、はぐらかされていました。

私自身、無知ということもあり、ただただ「東京は凄いな」と思い、こういうやり方が当たり前なのかと思っていたぐらいです。

そうこうしているうちにリーマンショックが起こり、当社の売上の大きな柱となっていた会社さんが倒産してしまったのです。渋谷に自社ビルを所有するぐらいの大きな会社さんだったのですが・・・当時は与信という概念もなく、毎月仕事依頼をいただいていたので特に注意することもありませんでした。

しかしある日突然、その会社の課長さんから電話がかかってきて、「薮本さん、驚かないでくださいね。うちの会社、倒産します」と告白されたのです。予想もしていなかったことでしたから、私自身相当驚きましたけど・・・相手方としても、可能な限り迷惑をかけないように、というスタンスで動いていただきました。そして本当に倒産してしまったのです。

さらに悪いことは重なるもので、業務提携を進めていた企業さんが実はブラック企業であり、数億円も集めていた資本金はわずか3年で全て使い果たしていたのです。負債はすでに発生しており、しかし実態のない会社だったため資金調達もできない状況でした。当社としては500万円ほど売り掛けが焦げ付くことになりましたが、これはもう明らかに私の経営判断ミスですね。

業務提携を解消して、500万円については諦めようと思っていたら、なんと相手方から「事業がうまくいかなかったのは、サムシングファンのせいだ」と言いがかりをつけられたのです。さらにその会社の債権者の方々がインターネットで当社との事業提携のリリースなどの過去の情報を見て、当社に問い合わせの連絡がくるようになりました。

このままにしていたら、ちょっとまずいな・・・と思い、裁判を起こして債務の確認と当社に対する誹謗中傷を止めさせるよう訴えたのです。

裁判を起こしてから半年ほど経って、最終的には相手方が全面的に認めて和解となりました。売掛金については一銭も戻ってきませんでしたけどね。しかしトラブルは一切なくなったので、それはそれで良かったと思っています。

振り返ってみると、裁判自体のインパクトが非常に大きかったんですね。訴状が届くのですが、その内容が全てありもしない嘘ばかりだったんですよ。

裁判沙汰になる前、相手方は口頭でのやり取りを文化にしていましたが、当社はメールやチャットでのやり取りを文化にしていたので、どれだけ相手方が口頭で言ってきても、こちらはすべてメールで対応していました。

この手法が救われたのです。すべて証拠として残っていましたから、それらが裁判でもきちんと採用されて、全面的に勝訴ということになったのです。裁判なんてもちろん初めてのことでしたし、その後は逃げ帰るようにして大阪に戻りました(笑)。


【続く:2/5】

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vol.1199 株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹 11 Apr 2013 9:00 AM (12 years ago)

株式会社サムシングファン 代表取締役 薮本 直樹

【増永】 薮本社長がサムシングファンを立ち上げる前はどのような人生を歩まれてきたのか、教えてください。

関西外国語大学の短期大学在学中、ラジオのDJを目指しており、当時FM大阪が開校していたDJアカデミーという養成スクールに通っていました。卒業後、ボイスプロダクションに所属して実際に声の仕事に携わっていたのです。

3年ほど声を仕事にしていましたが、仕事自体は刺激的で非常に面白いものの・・・将来を考えたときは不安でした。今後もしゃべり手として技術を高め続けていくべきかを考えると、そこまでは情熱がなかったんですよね。

ちょうど付き合っていた彼女と結婚しようという話もあり、将来を見据えた就職を考えるようになっていきました。このときが、今につながるターニングポイントとなります。

実は、しゃべりの仕事の一環として映像を自主制作したことがあったんですね。この作業がとても楽しくて・・・当時、パソコンで映像制作ができるようになり始めた時期でもあり、今後どんどんと手軽に誰もが映像を作れるようなそんな時代になっていく―そう感じました。

そこで、24歳のときに映像制作会社に就職することとなったのです。

営業としてその会社に入社。しかしながら零細企業であったこともあり、なかなか過酷な労働環境だったんですね(笑)。継続して働く場所とも思えず、実際に人の入れ替わりも激しかったんです。そういう職場環境を見て、「みんなが楽しく働ける場所を作りたい」、そういう気持ちが芽生えるようになり、自分自身での起業を決意しました。

● もともと起業を意識されていたわけではないかと思いますが、それまでの経験から何か自信につながっていたようなことなどあったのですか。

技術的なところや人脈といったところでは、何も自信につながるようなものはありませんでした。ただ単純に、映像分野で起業すれば、どうにか食べていけるくらいはできるのではないか・・・根拠なき自信があったわけです(笑)。

起業というと、なんだか思い切った人生の選択のように感じられますが、当時の私にとってはそれまで企業に属して長く働いたこともありませんでしたし・・・その延長線上で軽く考えていたんですよ。

● それでは、御社の事業内容を教えてください。

企業専業で映像活用の提案を行なっており、コンテンツ制作はもちろん企業さんのどの部分を映像で促進・PRできるか、さらにはどの課題を映像で解決できるか―ここまでコンサルテーションしており、その上で映像の使い方や視聴環境の整備など条件面での提案を実施しています。

そして企業さんのほうで「これなら効果が出そうだ」という確信をもっていただけたら、ようやく映像表現の部分に入るという流れです。

● 他社との差別化となる部分は、どのようなところになりますか。

いわゆる映像制作会社というのは、3兆円規模を誇るデジタルメディアコンテンツ市場にぶら下がって展開をされているというケースが非常に多いです。だからテレビ番組が終われば売上もなくなるし、テレビ番組が増えればその分売上も伸びるという具合。だからどちらかといえば、依存体質の強い会社さんが多いんですよ。

その点、私たちはテレビ番組のための映像制作は一切行なっておりません。幸か不幸かテレビ業界に伝があるわけでもなく、起業当初から企業さんを対象として営業活動をしてきました。

お支払いいただいた金額に対して、映像という手段で適切にサービスを提供する。このノウハウについては、他の会社さんと比べても長けていると自負しております。

しかしながら、これまでの10年で培ってきた自社だけのノウハウではなかなか説得力にもつながらないので、3年ほど前から立命館大学と共同研究を実施しているんです。「経営における映像の有効性」というテーマを掲げ、徐々に独自のノウハウを溜めているところです。

● たとえば、御社が得意とされている映像はどういったものになるのでしょうか。

企業さんや商品の紹介ビデオから、式典・イベント演出映像そしてプレゼン用映像などを中心に制作しています。

【続く:1/5】

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